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制作までの道のり ~監督からのメッセージ~

 『ある町の高い煙突』(新田次郎原作・文春文庫刊)、この話のルーツは1905年にまでさかのぼります。怪物とも称された経済人・久原房之助が久原鉱業を設立、日立鉱山の経営に着手しました。富国強兵、国策として産業を興し時代を創ろうと全力で挑んでいた男たちの手によって、会社は急成長を遂げ、さらに事業の多角化に乗り出し、日立製作所、久原鉱業所(日本鉱業所の前身)、日立汽船などの経営を手掛け、一大コンツェルンへと発展しました。いわば、日本の産業の夜明けを作ったといっても過言ではないでしょう。
 しかし、その一方で、当時の四大鉱山(小坂・足尾・別子・日立)は、宿命とも言われる公害(煙害)を発生、住民・農民に多大な被害を与え、激しい闘争・対立を生みました。その問題解決に、多くは、国策である、経済による補償で解決すればよいといった場当たり的な対応がさらに闘争を激化させ、数多くの悲劇も生んでしまいました。
 その中にあって、加害者としての久原は、「金銭で補償すれば煙害問題は事足れりと考えたことは一度もない。公正な補償の結果、会社がつぶれても構わない。地元を泣かせて何のための経営か」と喝破する。やがて、その理想の経営方針は、加害者である企業側の庶務課長の青年角弥太郎と被害者である農民・住民側の青年(リーダー関右馬允-セキウマノジョウ)たちを対立から対話へと変えていきます。そして叡智を結集し、青年たちは久原に大英断を迫り、国策をも乗り越え、150メートル余の世界一の大煙突の建設へと進み、煙害のほとんどを解決していったのです。これは世界史的にもきわめてまれなケースで、100年前にCSR(企業の社会的責任)の原点がこの日本にあったことは大いに誇られるべきことです。
 新田次郎氏は、小説の後書きで語っています。公害は、もともと人間が作り出すものが圧倒的に多く、被害を蒙るのも結局は人間である。公害を解決せんがためには、まず人間の考え方を改めねばなるまい。私は続出する鬱憤を、『ある町の高い煙突』を借りてはきだそうとしたのではない。私は半世紀前に“ある町の高い煙突”を創り上げた良心と情熱とを兼ね備えていた一群の若き人間像を描きたいがために、この小説を書いたのである。
 その後も日本にとどまらず、世界では多くの公害問題や環境問題が発生しています。日本だけでも、広島・長崎の被爆、水俣病、光化学スモッグ、四日市喘息、三里塚、辺野古、東日本大震災・・・今、国は、企業は、時代の青年たちは、何を語り、どう行動するべきなのでしょうか。その答えの一端がこの映画の中にあります。
 また、この素晴らしい原作・ストーリーにほれ込んだ役者が多数出演していただきました。
 オーディションで主役抜擢の井手麻渡は、関がモデルの農民側のリーダー煙害対策委員長役。300人のオーディションから選ばれたヒロインの小島梨里杏の演技は、涙なくして見られません。
 近年、演技派として評価の高まる渡辺大は、角がモデルの企業側の補償係として、対話を重ね、大煙突を農民側と共に建設していきます。
 この映画に出てよかった、教科書に載せたいようないい話だと語る吉川晃司は、久原がモデルの日立鉱山社主を熱演。
 戦中派として、核・公害の問題は譲れないと語る仲代達矢は、採掘を許可し、煙害を村に呼び込んだことを後悔している村長役でいぶし銀の演技を披露しています。
 映画『ある町の高い煙突』ご期待ください。